あなたに貢献したい。その理由はこの経験からです。
ご挨拶

ホームページにご訪問いただきありがとうございます。
株式会社Compass 代表取締役 中田優香と申します。
動画コンサルタント・ビジネス用アニメクリエーター等を手掛けるセールスライターです。
あなたがどういう経緯でこのページにたどり着いたのかは分かりません。ですが世界中で15億サイトを超える中からこのページを見てくれているというのも「他生の縁」ではないでしょうか。
あなたがセールスライターという職業を知っているのかどうかも私には分かりません。何かの関連でたまたまこのページにたどり着いたのか、私という人間を知っていて検索したのかも分かりません。
でもどんな理由であったにしろ、私は集客や売上アップに関わる仕事をしているので、きっと何か、あなたのお役に立てることをお伝えできると思います。なので3分ほどお時間をいただき、続きを読んでみてください。でもその前に、なぜ私がこの仕事をしているのか?少しだけ個人的な話をさせてください。
私は十数年間、普通の専業主婦をしていました

23歳で結婚してから平凡ですが幸せな日々を過ごしていました。子供は2人。息子と娘。
教育熱心という訳ではないのですが、子育てに一生懸命で幼稚園や小学校のPTA活動やママ友達とのサークル活動を楽しんでいました。
もし離婚を選択したら、
母親としての責任を果たすことができるだろうか?

ですがその一方で結婚生活の我慢や不満が
蓄積していきました。
そしていつしか離婚を考えるようになりました。今から考えるとその理由は大きく2つに大別されると思います。1つ目はそもそも合わない人と結婚してしまったこと。2つ目はお互いに感謝が足りなかったのだということです。
というのも、私は母の強い勧めで結婚を決めてしまったのです。お勧めの理由は「経済力があるから」。金融機関に勤めていて真面目そうな人柄は、金銭的に苦労してきた母にとって理想的に見えたのだと思います。もちろん勧めがあったとしても最終的には自分で決めたことなのですが。
ですが主人は金遣いが荒く、私は爪に火を点すような生活を余儀なくされました。自分のことだけならまだしも、子供達に不憫な思いをさせることが辛かったです。
主人には何度も改善してくれるよう頼みましたが「借金していないだけマシだろう」と開き直られ、改善してくれる気は全くありませんでした。多分私は金銭的なことではなく望まれて結婚したはずなのに、全く尊重されていない自分が悲しかったのだと思います。
それでも当初はまだ「離婚はするべきではない」という考えを持っていたので、表面を取り繕いながら生活を続けていました。その不満は年月を経るごとに大きくなり、また性格の違いからくる亀裂も次第に深くなっていきました。

離婚を意識していたからだと思いますが、その頃、そういう情報をよく目にしました。離婚後に貧困に陥るケース。子供に満足な教育を受けさせてあげられない、肩身の狭い思いをさせたくない。金遣いが荒くとも生活費はやはり主人が働いて得てくれているお金です。自分のことだけではなくまず子供たちのことを心配してしまう。親としては当然思う気持ちです。そしてそもそもの離婚によって子供たちの心に与える影響。ここで離婚を思いとどまる人も多いのだと思います。それは良い悪いではなく何を選択するか、というだけの事なのだと思います。

とりあえず私は、色々な考え事はわきに置いて、まずは経済力をつけようと仕事をすることを考えました。自分で働くようになれば、その大変さに主人に感謝の念がわくかもしれないとほんのちょっと期待したからでもあります。
ずっと専業主婦、時々パートの仕事、という私にはフルタイムの仕事をするというのはとてもハードルが高いことでした。市の主催する再就職支援事業に登録し、様々な講座を受けさせていただきました。ここで基本的な各種の資格も取り、担当のアドバイザーの方からも沢山支援していただきました。そこで言われたのは「ずっと専業主婦をしてきた人は正社員採用は難しい」とのことでした。
毎日出社して8時間の仕事をする。そんな基本的な事でさえ、出来るかどうか、気力体力が持つのかどうか、採用する企業側としては不安。それは当然だよなと思いながらも、そういう自分の状況は切ないものがありました。
講座で知り合った仲間と励まし合いながら情報交換し、とりあえずフルタイムで働ける、という実績を作るため派遣で働きはじめました。

派遣のフルタイムの仕事。そして離婚を切り出す

派遣で働きはじめました。働き始める前は、その大変さに主人に感謝の念がわくかもしれないと考えていましたが、実際は、勉強し出来ることを増やしていくこと。それが人の役に立っているという事が嬉しく、人に貢献できる喜びを得ました。そして大変だったのだろうと思いますが、仕事の愚痴しか言わない主人との溝はさらに深くなってしまいました。
今では、その大変さを理解してあげられなかった私の思いやりのなさ、未熟さ、感謝の足りなさに申し訳ない気持ちです。ですが、すでに終わってしまった気持ちはどうにもできませんでした。
仕事にも慣れた私は離婚を切り出しました。親たちも子供たちも巻き込んでの辛い状況。特に両親には沢山の心配をかけ、ものすごく反対されました。離婚調停を3回しましたが折り合いがつかず、現在は別居中の状態です。
夢の正社員・お客さまに喜んでもらえる仕事

派遣の仕事を2社勤めましたが、企業の状況によって切られることがある、契約満了後に次の仕事をすぐに紹介してもらえないことがある、など不安定な状況に不安を感じていました。そこでやはり正社員を目指すことにしました。
当時、事務の仕事の他にダブルワークで接客業をしていたこともあり、飲食店での正社員募集に応募し採用されました。接客の仕事を希望した理由は「直接お客様の笑顔がみたいから」。
小学校時代からの親友には「絶対に接客のほうが向いてる!」と言われました。
私のモットーは「楽しく、全力で!」。採用してくれた会社のためにも、これからの自分のためにも一所懸命働きました。やる気を買われたのか親友の言うように適性があったのかは分かりませんが、会社の推薦で日本ショッピングセンター協会の接客ロープレの北海道大会に出場させていただきました。そのための特訓は厳しかったのですが、先生や協力していただいた方々のおかげで準優勝を取りました。その後その実績をもとに接客マイスター2級を取得させていただきました。
そして何よりも嬉しいのが「あなたに会いに来た」と言ってくれる常連さんができたことや、「いつもいい笑顔していますね」と声をかけてくれるお客様がいることです。
私は仕事でも何でも「人のためになる」という事にやりがいを感じるようです。
突然の予期せぬ事態

この会社に勤めてから数年。ある日突然、足腰に痛みが走りました。手術が必要なものや一生治らないようなものではないのですが、このまま接客の仕事を続けるのは難しい状況になってしまいました。
整形外科と整骨院を数件はしごし、その度に「ひどい状態だね」「これは可哀そうだわ」「うちの院でトップ2くらいの(悪い)状態」と言われました。そのうちシップを貼り続けている箇所はかぶれていきました。一日に鎮痛剤を3回も4回も飲み仕事をしていましたが薬で痛みが軽くなっても完全になくなることはありません。
その状態でも当然、仕事は毎日いつも通りあり、走り回らなければなりませんでした。仕事が終わってから家に帰っては「ううう~痛い~」と毎日うめいていました。痛みで熟睡もできない状態です。
そんな状態でもなかなか転職する決断が出来なかった理由は、また就職活動をするのかという憂鬱。人間関係の良さやお世話になっているという事実。
そして「正社員になれて良かったね。これで離婚したとしても安泰だね。」
と喜んでいる母にまた心配をかけたくなかったからです。
セールスコピーライティングとの出会い

そのころ私はセラピストの仕事に魅かれていました。体へのマッサージ等ではなく心を救う方。足腰を痛めたこともありこちらを本業にできないかなと考え、ビジネス書から、DRM(ダイレクトレスポンスマーケティング)を知り、セールスコピーライティングを学びはじめました。
DRMやセールスコピーライティングを勉強し始めてすぐに思いました。
なにこれ?すごい!
でもちょっと待って。これ難しい。
DRMやコピーの持つパワーは、すぐにすごいものと分かりました。
多くの企業が抱えている集客や売上アップに関すること。多岐にわたる施策やアイディア。お客様がチラシを読んだり、商品を購入するときの心理的な動きまで。
私の父は小さな不動産業を経営していました。子供からみてもそれはかなり苦戦していることが分かるようなものでした。
私が小学校のころ、一度父がチラシをまいたことがあります。
ある日、父が会社でコピーした白黒のチラシを大量に持ってきました。カラーコピーなどなかった時代です。
父は私に、コピーが白黒だと目立たないから、こことここに色を塗って、と言いました。
子供だった私は塗り絵感覚でお手伝いしたのを覚えています。
そのチラシは一件か二件の受注につながり、母がすごく喜んでいたのを覚えています。

どういう理由があったのかは分かりませんが父はチラシはその時の一度しか出しませんでした。
もし当時の父がチラシを改善し、より多くのお客様とつながりを持つ術を知っていたら…。
既存のお客様を大切にし、経営を安定させるシステムづくりを知っていたら…。
そういう思いも、私がこのスキルに夢中になった理由の1つでもあります。
ですがそれを学びたい私の前に立ちはだかる壁は、カタカナ語の多さでした。
アメリカ発祥のスキルとはいえ専門用語は全てカタカナ。そもそも私はカタカナ語も、女子高生をJKと言い換えるような略語も苦手です。
本を読んでいても教材を聞いていてもカタカナ語が出てくるたびに、これどういう意味だっけ?と教材を戻り、なかなか勉強もはかどらない毎日でした。

息子から手渡された本「下流老人」
そんなある日。家で息子の本棚の前で、息子と一緒に漫画の話をしていました。
これはアニメ化された。あの雑誌で連載されていた。これが面白いんだ、なんて楽しく軽い話です。その時、息子からふざけて「これ読むかい?」と手渡された本は「下流老人」でした。

息子は大学の社会福祉科で勉強していました。その関連で購入した本だったのでしょう。
この本は息子から言われる前にすでに読んだことがありました。
うろ覚えの記憶ですが、正社員で働いて、浪費することもなく地道に普通に生活をしていたとしても、これからの時代は老後破綻する可能性が高い、という内容だった気がします。
しかも私のように離婚するとなるとますます厳しい状況が待ち構えている。
息子は重い気持ちで渡した訳ではありません。本当に軽いノリ。
でもそれは、私に本気で転職を考えさせるのに充分な動機でした。
見込みの年金額から定年後まで働いた場合の生涯賃金を計算し、暗い気持ちになりました。
「だめだ…。このまま離婚したら、老後、子供たちに迷惑をかけることになる…」
長年専業主婦をしていた事実が重くのしかかってきました。かといって離婚しないという選択肢は私の中には全くありません。
セールスライターになるきっかけ

その頃は、足腰の状態を会社に相談し負担の軽い職場に異動させていただいていました。症状も大分よくなっていました。
「こんなに良くしていただいて感謝している。だけど…」
お世話になっている会社には申し訳ないと思いつつ転職サイトを見始めました。
飲食業は好きだけど、それだと体への負担は変わらない。お給料が高いのは営業系。営業系は苦手なのよね、と考え、ふとセールスコピーが使えるなと考え至ります。このスキルを身に付ければ私でも営業系の職種に転職できるかもしれない。
ちなみにこの時、セラピストの方は知人からのアドバイスで伸ばすことはやめて現在必要としてくれている方のみへのサービスとしてライフワークでやっていくことに決めていました
そして改めて、少しの期間サボっていたセールスコピーの勉強を始めると…。
これがスラスラと頭に入ってくる。なぜかというとカタカナ語の意味をもう理解できていたから。そうなると、もう本当に面白くて楽しくて仕方がない。
そして以前はそれほど見ていなかったDRMやセールスコピーに関するYouTube動画などもみるようになりました。
ある日、今まで気づかなかったセールスライターのコミュニティがあることを知りました。
さらにスキルを磨ける場があることを知り、独学だけでは決して得ることのできない知識・最先端の情報・行動法やマインドセットまで得ることができました。
必要としてくれる人に会いたい。届けたい!

気が付くと私は、このスキルを転職用に使うという最初の目的はすっかり忘れていました。もっと人のために役立てたい。
なぜかというと、想像以上に広く深いレベルで人に貢献できる仕事だったからです。
というのも、集客や売上アップという多くの会社が抱えている普遍的な課題をお手伝いできるだけでなく、その商品やサービスを扱っている会社社長の想い、その商品に対する思い入れ、開発秘話等。そしてその商品を購入してくれるお客様への気持ち。
そんなことを知ることができ、それによって、会社とお客様の関係性をより良いものにし、その商品・サービス、そして会社のファンになっていただき、あなたから買いたいという関係性まで築ける。
そして社長のやりたいことを本当にできるようにしていく、発展に貢献できる、そういう可能性を秘めた仕事だからです。
まさに会社のためにもエンドユーザーのためにもなり、今後AIが台頭していっても代わりのきかない、人と人の関係性を築いていける仕事なのです。
そういう素晴らしい仕事を、本場アメリカと同じように誰もが知っている職業になる社会を作っていきたいとも考えています。

✔ もしあなたが、「あなたから買いたい」というファンのお客様を増やしたいなら。
✔ もしあなたが、本当にお客様のためになる商品やサービスを持っているなら。
✔ もしあなたが、ちょっとした集客の問題点をクリアし次のステージへ進みたいなら。
私はあなたの仕事に何らかの貢献ができるかもしれません。
というのも、厳しい辛い状況を乗り越えてきた私だからこそ人の心の機微に敏感です。
それはお客様の気持ちを考えていく仕事に活かせます。
そしてどんな問題でも乗り越えていく姿勢やマインドをもって全力で仕事をさせていただくことをお約束します。
あなたの抱えている問題や現状、ビジョンを教えていただき、次の一手を一緒に考えていける。あなたの創造する未来を共にみられる。そのようなパートナーになれたら本望です。